昭和44年05月06日 夜の御理解



 夜の御祈念をさせて頂くということは、今日一日の事をやはり是と神様にお礼を申させて貰い、又お詫びさせて貰いしみじみと神様にお礼を申し上げるというのが、私は夜の御祈念のまあ祈りの中心に中に( ? )。そこでお礼を申し上げる所はお礼を申し上げ、詫びるとこは詫びさせて頂いて、そして今晩もまた安らかに就寝のおかげを頂いて明日はまた生き生きと目覚ましのおかげを頂かして貰う事を願わしてもろうて、御祈念を終わらせて頂くんでございますが。
 私は信心のけいこというのは、何かこうお話を頂くといわゆる教えを頂くと、そしてそれを色々にまあ練ったりまたそれを行じたりする。それが勿論信心の稽古ですけれども。これは私はあの、私母の里麥生でしたが、じいと婆が細々と百姓しておりました。叔父達が皆朝鮮に行っとりましたからね。そいでもうどんなに忙しい時でも、それこそ夜のご祈念にお風呂を頂いて、老夫婦の者があの仏前に座って、もう長々とお経をあげて、長々と御祈念をするんですよ。
 信心の稽古と言った様なもんじゃないですね。もう稽古以上の稽古です。もう一日の疲れも癒えるだろうもう一日の、例えばお粗末ご無礼のお詫びもね、あれで清まるだろうと思われるような御祈念でした。まあ大変2人とも長生きのおかげを頂いてから、まぁあの言うなら叔父達が釜山の方に行っとりますからあちらへ、まっ引き揚げては参りましたけれども。私の子供心に残っておりますその、婆達の夜の御祈念というか。
 お勤めと申しますかねお勤めをさしてもらう、あのあの雰囲気の中に、私共はこう信心の有り難さと言うものがもう言わずに語らずに、染み込んでおったような感じが致します。私共が御祈念をさせてもらう、とりわけ夜の御祈念は、そのような雰囲気を持たなければいけないと思うですね。ただあの御理解を頂くといったじゃなくてもう、もうしみじみとして、今日一日のことがお礼が申し上げられる。
 そして、本当に、お粗末ご無礼のところをお詫びさしてもらい、もう、何かしらん心にすっきり、すっきりと安らかな心で、休ませて頂けるような、おかげ頂けるために、御祈念をさせてもらう。夜の、いわゆる勤行であり、夜の御祈念である。それがね、私はあの、もう理屈抜きに、しての信心のけいこだと、こう私は思うですね。そういう御祈念がさして頂きたいと思うです、とくに夜の御祈念は、そう強く思います。
   どうぞ。